「防犯」より「安全」が選ばれる理由―――否定表現の心理的影響

「防犯」という言葉と「安全」という言葉。
あなたならどちらの言葉を用いますか?

辞書によると下記のような意味です。

防犯……犯罪を防ぐこと。

安全……危害または損傷・損害を受けるおそれのないこと。危険がなく安心なさま。

スーパー大辞林 3.0

犯罪を防ぐことと、危険がない状態は、広義で同じ状態を表すと言えます。
では、

「ここは防犯対策されています」
「ここは安全です」

どっちの文章が、安心できますか?

似たような意味なのに、
多くの人は「ここは安全です」のほうが安心と答えるのではないでしょうか。

もうひとつ例を出しましょう。

鬼無里村(きなさむら)
これを読んで、皆さんはどんなイメージを持ちますか?

昔、長野県に実在した村なのですが、どうでしょうか。
鬼無里地区のWEBサイトでも説明されているとおり「鬼が無い里」です。

「天武天皇が鬼たちを退治したので(中略)鬼のいない里『鬼無里』になったという伝説が残っています」

信州 鬼無里>鬼無里のこと>遷都計画と一夜山(いちやさん)の鬼伝説 ほか

文字通り考えると、安心安全な村のはずです。
でも「鬼無里村」、なんだか怖くないですか?

それらの理由は「否定形」にあります。

「防犯」「鬼無里」という言葉は、
悪い意味の言葉を否定するという構造をしています。

論理的には悪い意味の否定なので良い意味になるはずなのですが、
悪い意味の言葉にイメージが引っ張られてしまう。
これはヒトの脳がそういう構造をしているからです。
ヒトの脳は否定形を処理する際に、次のような過程を経ます。

1.否定の対象を意識する(今回の例では「犯(罪)」や「鬼」)
2.そのあとに対象を否定する

つまり、否定対象のイメージが先に脳内に描かれてしまうのです。
否定対象がネガティブな言葉である場合、
その後で否定したとしてもネガティブな印象や感情が頭に残ってしまいます。

否定形は使わないように表現するほうが、伝えたい意味がまっすぐ伝わるのです。

例えばむかし小学生のころ「廊下は走るな」と言われませんでしたか?
これも上記の理由で効果的ではありません。
「廊下は走る」というイメージを先に受け入れてしまうため、抑止効果が減ってしまいます。
なので最近は多くの学校で「歩く」や「歩こう」という言葉が選ばれるようになっています。

某小学校の注意喚起掲示
「あるく!!」

他にも「遅刻禁止」より「早く来なさい」、
「夜更かしするな」より「早く寝なさい」、
「おしゃべりしない」より「静かに」などが考えられます。

逆に「避けさせたい」「怖がらせたい」場合は、あえて怖い言葉を使うのが良さそうです。
「来るな」→「逃げろ、走れ」、
「立入禁止」→「危険」といったところでしょうか。

他にも「安全カメラ」でなく、「監視カメラ」「防犯カメラ」がよく使われるのは、
犯人側に警告したいという意図があるのかもしれません。

否定形は、意図に反した結果をまねく恐れがあります。
できるだけ肯定的に、言葉の持つ意味を素直に使うことを心がけましょう。

追伸

この「否定すると、むしろ意識するようになる」現象は、
「「シロクマのことは考えないでください」と言われると余計に考えてしまう」
というテキストで、皮肉過程理論という名で語られることもあります。
趣旨は微妙に異なりますが、シンプルでおもしろいので紹介します。

「何かを考えないように努力すればするほど、かえってそのことが頭から離れなくなる」

Wikipedia:皮肉過程理論
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